杉並区は2002年12月に「杉並区自治基本条例」という条例を公布しました。
「区が定める最高規範」と表現していますから、“杉並区の憲法”と言ってもいい大事な条例です。
杉並区自治基本条例紹介ページ
条例本文とパンフレットのPDFが閲覧できます
その条例の「前文」では、次のようにうたっています。
「地方自治とは、そこに住み、暮らす住民のためにあり、地域のことは住民自らが責任を持って決めていくことが自治の基本である」
「杉並区には、区民の信託にこたえ、区民との協働により、豊かできめ細かな区政を行う責務がある」
「そのために住民の行政への参画、行政と住民との協働の仕組みを自ら定めることが求められる」
「区民は、区民主権に基づく住民自治のさらなる進展のために、区民一人ひとりの人権が尊重され、誇りを持って区政に参画し、協働する『自治のまち』を創っていくことを目指す」
条例は最初に、住民主権と住民自治を高く掲げ、住民と行政が協働するまち作り、そのための仕組み作りをしっかりうったっているのです。
次に条例の中身を見ていきましょう。
「第2章 基本理念」はこうです。
「区民と区は、一人ひとりの人権が尊重され、人と自然と都市の活力が調和した住みよいまち杉並を、協働により創っていくことを目指す」
「その目的達成のために、区民と区は、区政に関する情報を共有し、主権者である区民が、自らの判断と責任のもとに、区政に参画できる住民自治の実現を目指す」
「第6章 区議会」でも同じ理念を掲げています。
「区民の多様な意見の反映、情報の共有を図り、区民に対する説明責任を果たし、開かれた議会運営に努めなければならない」
そして「第7章 執行機関」では、区長や区職員の責務も定めています。
「区長は、区民の信託にこたえ、誠実に職務遂行に努めなければならない」
「区の職員は、全体の奉仕者として、区民本位の立場に立ち、区民との協働の視点を持って、全力を挙げて職務遂行に努めなければならない」
自治基本条例は、区長や区職員、区議会の責務を、ここまではっきり定めているのです。
さらに「第8章 区政運営」では、区民への情報公開、説明責任なども、公正な区政運営のために重視しています。
「区政に関する情報を積極的に区民に公開し、区民との情報共有に努めなければならない」
「区は、政策の立案から実施、評価の過程まで、区政について区民にわかりやすく説明する責任を果たすよう努めなければならない」
「区は、区民の区政に関する要望を迅速かつ誠実に処理し、区民の権利利益の保護に努めなければならない」
私たち住民にとっては、うれしい内容ばかりです。
しかし、現実はどうでしょうか。
田中良区長は、あんさんぶる荻窪と荻窪税務署の財産交換は、議会にも諮らず独断で決めました。地元への対応でも区側に不正な事実があったことが裁判で明らかになりましたが、区長は住民たちの訴えも無視したままです。
議会では野党議員の質問にまともに答えない。女性議員は脅す。議場で居眠り、公用車は不正使用・・・。
数々の条例違反を繰り返してきたことは明らかです。
区職員も、公務員の良心すら失ったような言動が目立ちます。
各地域の説明会では、住民にていねいな説明はなく、意見は聞かない、質問も打ち切る。事務手続き上必要だからと、ただ形式的に開くだけ。
高円寺の小中一貫校問題では、地元の工事業者に脅され、裁判にまで訴えられた地域住民を切り捨て、工事業者を擁護しました。そのうえ開校延期が決まると、「これは住民のせい」と責任を転嫁。自治基本条例だけでなく、公務員の倫理規定にも違反するような実例です。
区議会もつい先日、西荻窪の住民たちが約3800人の署名を添えて提出した「計画道路拡張反対」の請願を、委員長判断でまったく審議もせず却下したばかりです。
これまでも、区長や与党に都合の悪い陳情・請願はほとんど審議しないまま廃棄してきたと、「すぎなみオンブズ」は調査結果を公表しました。
「多様な意見の反映」も「区民に対する説明責任」もありません。
区長与党が多数を占める区議会も、「条例違反の常習者」です。
これが残念ながら杉並区の実情です。
私たちはいま、区内各地域でいろいろな問題に直面しています。区政の理不尽な施策に苦しめられてもいます。
そんなときにこの自治基本条例は、私たちにとっても「闘いの武器」「1つの支え」になるのではないでしょうか。
「それはおかしい。私は認めることができません」
「条例のこの部分に違反していますから」と。
もっと多くの人たちにこの条例の内容を知っていただきたいと思い、今回この文章をまとめました。
少しでもご参考になれば、大変うれしく思います。
ちなみに、私たち「杉並の問題をみんなで考える会」の「基本方針」も、この杉並区自治基本条例を土台に据えています。ホームページのトップにありますのでご覧いただければ幸いです。
(2019年6月、淳)